カポネ

佐藤賢一の「カポネ」という本を読みました。佐藤賢一と言えば古代ヨーロッパ、特にフランスというのが僕の印象だったのですが、この本は珍しいことに舞台はアメリカ、それも禁酒法が施行された百年ほど前、つまり近代です。主人公は、禁酒法時代に酒の流通で莫大な富を築いたギャングとして名高いアル・カポネと、アルを逮捕しようとやっきになったアンタッチャブルのエリオット・ネス。この二人についてを前半と後半に分けて描かれています。
残念ながらこのカポネは、今まで僕が読んできた佐藤賢一の本の中で一番楽しめない小説でした。いつもの、あの、たまらなく熱く、読者をぐいぐい引き付けて離さない佐藤賢一の文章ではないんです。盛り上がってきたかと思いきや、ぷつりと途切れる。今度こそと期待をすると、急に後半部になって別の主人公の話になってしまうという始末。テレビ番組で例えるならば、実在した(であろう)人物を描きながらもエンターテイメント性の高かった今までの作品は「ドラマ」で、今回のは「ドキュメンタリー」くらいの差があります。実はこの辺は、この前読んだ「褐色の文豪」の時にも少し感じていました。近代になればなるほど、現実性が増してきておもしろくなくなってくるような感じです。
とはいえ、そこは佐藤賢一なわけで、読ませる熱い場面もありました。特に一番気に入ったのは、アルがアルコールを卸している飲み屋が敵対する組織に荒らされ、そこに駆けつけたアルがその店の主人の息子、マークに漢を見せた場面。
店の亭主であるマークの父親は大怪我で病院に運ばれ、店の修復と多額の治療代を聞いて母親は倒れてしまい、まだ小さな妹はよくわからず怯えて自分にしがみつくばかり。そんな時に駆けつけたアル。アルにお金の無心をしたいが簡単に切り出せるわけでもなく、かといってこのままでは父親の命は尽きて一家離散…。そんなマークにアルは、「ビールを貰えないか」と一言。生憎ながら、ビールはさっきの奴らに全部もっていかれてしまったんです。「そうか、ならば水でいい。喉が渇いてるんだ」ええ、それなら、それなら今すぐにでも。
アルに水を用意していると、急にどかどかと入ってくる工務店の男集。ああ、こりゃひどいありさまだ。え、うちは修理なんて頼んでいませんが? 「ああ、それは俺だ。請求書はうちにまわしてくれ」 そんな、そんなことしてもらえませんよ。「俺の顔をつぶす気か? それと、これは御代だ。うまかった」 いえいえ、水の御代なんか、しかもこんな分厚い財布もらえませんよ! 「いいからいいから」…すいません、これで治療費が払えます。「ああ、それならさっき払っておいた」 ええ! …ありがとうございます。店の修理代に、治療費まで。でも、それならなおさら、このお金はもらえません。「施しは受けたくないってか? まあ、それならな、マーク。俺の為にいつかいつか力になってくれ」
……もう、格好良すぎです。普通ならば、お金があるからと、闇酒でぼろ儲けしているからと、貧乏人に施しをする嫌な奴なのですが、佐藤賢一の手にかかると男気溢れる人情溢れる極上のイタリア人にしか見えません。この文章が佐藤賢一の魅力。

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