Twitterをはじめました。もともとは知りたい情報があるので始めたのですが、今ではすっかり、知り合いのつぶやきや気になる人のつぶやきをウォッチすることがメインになってしまいました。フォローする人の数が増えるとタイムラインに流れるつぶやきの数も増えて、それを読むだけで時間が…。
ネット全般に言えることですが、ネットで知ることのできるほとんどのことは知らなくてもよいこと。情報の取捨選択をして必要なものだけを集めていけたらいいんだけど、それが難しいならばいっそネットで情報を集めないというのも一つの選択ではないかと最近思います。週に一日、オフラインでできることのみをする日を作る。そうすれば、読まずに溜まっていく本を多少は消化できるかも。
VANQUISHの体験版がおもしろいです。ゲーム全般おそろしく下手な僕にとって第二段の体験版はとても難しく、数時間プレイしてもまだ一度しかクリアできてません。しかし、おもしろい。ついついムキになって繰り返しプレイして、気が付くと2時間くらい経過してます。この感覚は久しぶり。アクションゲームではニンジャガ以来かもしれません。こういうゲーム作りたいな。
アクションゲームはプレイヤーキャラを動かすだけで面白いものであるべきだと思っています。そして、経験値がプレイヤー自信に蓄積されていくべきものだと思っています。なので、RPGのようにレベルがあって、雑魚を倒すことでそれが上がっていくのは何か違うな、と。そのようなものはアクションRPGで、アクションRPGであればアクション性を多少落として、その代わりストーリーやシステムを充実させるべきだと思っています。
ゲームを作ろうと真剣に考えて、初めて自分がそういうふうに考えていることに気づき、驚きました。そんなふうに、「○○であるべき」という考え方が自分の中にあることに。そして、そういった考えは自分の好きなゲームそのものであることに。つまり、既存のゲームの猿真似をしているだけ。理由は、自分が好きだから、あるいはそれが売れているから。なんだかな。
同じ材料で同じ料理を作っても、調理する人が異なれば味に違いが出ます。それと同じで、既存のゲームの猿真似でも、自分達なりの味を出せばそこそこ売れると思います。しかしそれはあくまでも「そこそこ」であって、オリジナルに一日の長があります。単純に真似しただけでは、オリジナルを越えるのは相当厳しい。とは言え、誰も作ったことがないような全く新しいものを作るのはもっと難しいです。あらかた出尽くした感はあります、やっぱり…。
ところで、数年前、会社のエロイ人が「ゲームは90%が真似で10%が新しいこと」みたいなこと言っていました。たぶん、「発明は99%の努力と1%のひらめき」と同じ感じのことを言いたかったんだと思います。確かにその通りで、ゲームをプレイしていると「あ、これは○○と同じシステムだ」と思う場面が多々あります。それを悪く感じるよりは、「知っているシステムなので新たに学習する必要が無くてわかりやすい」といった点でプラスに感じることとの方が多い気がします。そしてジャンルによってそれらの共通部分がある気がします。
だからこそ、その共通部分は外すべきではないと思うのです。…思うのですが、そこは敢えて外さないと新しいものが作れないのではないかというおもいもあります。例えばQTE。アクションゲームでプレイヤーの操作を強制的に中断させるシステムはありえないと思ってました。意識はしてませんでしたが、それがアクションゲームの共通部分でした。たぶん。ところが、今はQTEを導入しているゲームがたくさんあります。共通部分を敢えて外して、アクションゲームでも演出面を重視したゲームで多用され、それがヒットに繋がっています。僕は嫌いですけど。
お約束を守ったものを作って堅実にいくか、お約束を外して冒険してみるか。冒険するほど魅力的なアイディアがないので堅実にいくべきだと思うのですが、堅実にいったのでは年々状況がわるくなるだけだろうという不安があります。いつか博打を打たなければいけないのならば、今、打ってしまってもいいのでは。