またまた今日もタクシーで帰宅しました。
19時に帰る予定は守れなかったものの、今日こそは終電で帰るべく、居残る先輩方を背に会社を出て猛ダッシュした23時。ギリギリでホームについて安心していたところに、「人身事故の影響のため……」というアナウンスがありがっくり肩を落としてしまいました。30分ほど遅れて到着した電車に乗り込み、「もしかしたら」という期待を抱きつつ乗り換えの駅に着くと、既に終電が出て行ってあと orz
改札口では駅員に群がる人でいっぱいになっていましたが、そこをスルーしてタクシー乗り場に並び、ようやく僕の順番というときに、「○○線をご利用の方はいませんか」と呼びかける駅員さんの声が聞こえてきました。よくわかりませんが、電車が出るか、あるいはタクシー代をもらえそうな雰囲気です。近寄ろうかと足を踏み出したところで、「なに言ってんだよバカヤロウ!」と声を張り上げながら近寄るおじさん、明らかに酔っ払い。なんだか、もうどうでもよくなってその後の顛末を見ずにそのままタクシーに乗り込んでしまいました。
誰かが悪いんでしょうか。電車が遅れたのは事故のためで、JRが悪いわけではありません。終電が出て行ってしまっていたのは確かにムッとしましたが、事故の影響で僕同様に30分待たされた人が乗っていったことを考えると、僕らを待っていたら1時間待たされたことになるわけで、出してしまって当然とも思えます。欲を言えば僕らの時間に合わせてもう一本電車を出して欲しかったですが、僕らようにちゃんと別の方法で対応をしているわけですから十分です。
人身事故さえなければ何も問題がなかったはず。じゃあ、飛び込んだ人が悪いんだ!……と、短絡的に誰かのせいにするわけにもいきません。自分で自分の人生に終止符を打つなんてよほどの事がなければできないことであり、飛び込んだ人にはそのよほどの事情があったのでしょう。そんな土壌を作ってしまったのは……そう、社会の責任です。しいては、社会に属する僕らの責任なわけです。ですから、今回のことで時間的・金銭的に多少の被害をこうむったとしても、それらを甘んじで受け入れなくてはいけない義務が僕らにはあるのです。
タクシーの運ちゃんがいつもより遠回りの道を走った上に、メーターを切るタイミングを遅らせて止まった瞬間にメーターが上がったとしても、これは、あの歳でこんな遅くまで働かなくちゃいけない社会を作った僕らの責任なのです。いつもより多く払った数百円で、運ちゃんがお土産として焼き鳥でも奥さんに買っていってあげれるならば僕は満足です。
誰かが悪いのではなく、誰もが悪いのです。だから、ちょっとした痛みで全てがよくなるなら、その道を選びます。そう、……そう考えでもしなきゃやってらんねー